人工知能の「面白さ」へのかかわり

昨今、言葉がビッグデータより遥かにキャッチーなせいか、なんでも人工知能といい過ぎではないでしょうか。こちらのこのカテゴリでは、少し違った立ち位置から人工知能について考えてみたいと思います。

問題意識をハッキリさせるために、けっこう前のことですが去年の夏、茅ヶ崎市美術館で行われた「正しいらくがき展」を見てきた感想など。

http://www.chigasaki-museum.jp/natsufuku/2015/

この、SEMI-SENSELESS-DRAWING-MODULES は、周囲の気温・湿度・騒音などの情報をインプットし、それをもとにシアン・マゼンタ・黄色の3色でを書くマシンです。札幌で展示したものを、茅ヶ崎に持ってきたそうです。

この企画、人間の創造を模倣・学習・偶発性と分類して、それを機械に実装できるかという試みの「模倣」バージョンだそうです。札幌でマシンが描いた絵を、茅ヶ崎の子供たちが「模写」しまして、それをマシンがさらに模写するという企画でした。札幌でのマシンの絵・それを子供が模写した絵・子供の絵をマシンが模写した絵の3つが展示されておりました。

この展示を見て、私の中の日ごろの鬱憤が爆発する思いでした。撮影可だったため写真を撮ってきました。※全体ではなく一部のアップです。

子どもの模写と思われる

子どもによる模写

マシンの絵

マシンの絵

撮影したときに記録していなかったので、どの写真がどの段階のものか判然としなくなってるんですが、確実なのは上の写真は子供による模写であることです。なぜなら、模写元のマシンの絵にはない星形が勝手に付け加えられているからですね。下の絵はマシンのものであるのも確実で、札幌のオリジナルの絵も子供の絵の模写も基本変わらずこのようなものです。子供の付け加えた星形が消えています。

子どもは、このマシンの絵を模写することが楽しかったのだろうか?と考えると、まず面白くないだろうなと思うわけです。そこにない星形を付け加えたところに、「つまらないなあ」という抵抗を感じます(笑) 子供の絵をマシンが模写すると、その星形が消えるのも謎。これが再現性のあることだとすると、大変大きなことなのですが・・・さて。

抽象画のようで綺麗といってる人がいるようですが、グーグルかどこかのAIが描いた絵のように、いってみれば抽象画しかマシンは描けないと考えられます。印象派のような絵を出力できるようになるのか?なったとして、その出力の過程は印象派の作家の絵を描くときの脳・及び身体プロセスとは明らかに異なるでしょう。そういう出力した絵に意味はあるのかないのか。

人工知能のみならず情報技術の過度な導入により、「おもしろくない」世の中になっているというのが、私の問題意識です。意識高い人の話す内容が詰まらないのと、何だか似てませんか(笑)

とにかくさ、子供はこの模写拷問じゃなかった?そうでもないの、最近の子は。

個の企画、模倣・学習・偶発性とバージョンがあり、一番興味深い偶発性はまだICCでやってますね。行ってくるとします。こちらは、模倣バージョンのマシンが気温や騒音などを入力としてましたが、偶発性バージョンは、作家の姿のプロジェクションを投影した空間を鑑賞者含めて入力するらしいので、もっと面白いかもしれません。

同じ作家による SENSELESS-DRAWING-BOT というものがあります。

 

これは、原理的にほぼ同じながら私は逆にかなり面白いと感じるのですが、どうですか。理由を考えると、SEMI-SENSELESS-DRAWING-MACHINE と違って、

  • 重力が作用している
  • 機械が物理的に大きい

これらの要因が大きい気がしますね。最近は身体性がクローズアップされてきてますので、人工知能の世界も変わって行くのかもしれません。

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