ちはやぶる 神代も聞かず 人工知能 シンギュラリティ 人智超えるとは(3)

(2)から3か月も経ってしまった。この問題こそ私のモチベーションなので、何年かけても続けますけどね。

  1. 1,000,000種類の記号の中からランダムに31の記号を選択する(重複を許す)
  2. 選んだ31の記号を、これまたランダムに並べる
  3. 1と2を1,000,000回繰り返す

この100万人1首を超高速処理するAIカルタというのを仮定して、いまのエンターテイメントが100万人1首になっていっているという私の憤りを書きました。

感じませんかね・・・。インターネットにしても、「面白い記事」という「型」があってそこへ当てはめたものばかりになってません?Facebookに流れてくる「面白いネタ」ってみんなこれだし、そういうのを馬鹿にする人種(例えばはてなー)だって、別の「型」に則ってるだけなんですよ。そして、だんだん型ですらなくなって高速記号処理に近づいて行ってるわけです。

Perfumeが主題歌を担当した映画「ちはやふる」を見て競技カルタを始めて、「心が豊かになった」という人がいる。最初の数文字で決まり手を判別して高速で札を取りに行く。この点で、競技カルタは高速記号処理に見えるわけです。AI100万人1首では心は豊かになりそうもない。じゃあ、百人一首はどうして心を豊かにできるのか?私の考えでは、時間の積み重ねである「歴史」と「身体」が存在するからだと思います。それは「意味」と言い換えてもいいと考えてます。飛躍があるように見えるでしょうけど、まあそれはおいおい説明するとして。

どうも人工知能の分野では、意味についてあまり扱いたくないのでしょうかね。深層学習流行りの最近では、ますます意味は知能の対象外になっているように見えますね。時間と身体を無視して、一次元的な記号列による表象ですべての知能活動を賄えるとしてしまう・・・。彼らは感情は知能の部分要素と思っているか、理性より劣ったものとして切り捨てているようです。

「人工知能」脳に近づくと、左が右と大差なく見えるようになっていきます。ゲシュタルト崩壊ともいいます。ところで、ゲシュタルト崩壊という現象も知能について考えるにあたって興味深いですね。

理系の研究所にいて人工知能を研究しているような人は、「面白くない自分」を気にして劣等感を抱いていたりします(笑) そこで、

「感情は知能に劣る。感情があるせいで冷静な判断を人間は下せないので、人間を超えた人工知能に様々な課題を解決してもらおう」

このようなことを考えているわけです。このことが正しいかどうかは置いておきます。最近のように社会全体が人工知能人工知能ということで、全分野で働く人の脳みそがAIっぽくなっていっている、とりわけエンタメ分野が面白くなさすぎるがウンコすぎると私は怒っているわけです。

次回 2ちゃんねるのコピペ文化へ続く

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